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英国の天然ガス取引の中心となる仮想取引拠点で、1996年に設立された欧州で最も歴史ある市場の一つです。北海ガス田からの供給とLNG輸入の両方を扱い、英国のガス価格を決定する重要な役割を果たしています。欧州大陸のTTFと並んで、国際的な天然ガス価格の重要な指標として世界中で参照されています。
NBP(National Balancing Point)は、英国の天然ガス市場における仮想的な取引拠点で、1996年の英国ガス市場自由化とともに誕生しました。「バランシングとポイント」という名前は、英国全土のガス供給と需要のバランスを取る場所という意味を持っています。TTFと同様に物理的な施設ではなく、英国のガス輸送システム全体を一つの仮想的な取引場所として扱う概念的な市場です。
NBPが生まれた背景には、英国の特殊なエネルギー事情があります。1960年代に北海で大規模なガス田が発見され、英国は欧州有数のガス生産国となりました。しかし、2000年代に入ると北海ガス田の生産が減少し始め、英国は純輸出国から純輸入国へと転換しました。この変化の中で、NBPは国内生産、パイプライン輸入、LNG輸入という多様な供給源を効率的に管理し、価格を決定する重要な役割を担うようになったのです。
市場の仕組みは比較的シンプルです。ガスが英国の National Transmission System(NTS)と呼ばれる高圧パイプライン網に入った時点で、NBPでの取引が可能になります。売り手と買い手が価格に合意すれば、物理的にガスを動かすことなく、所有権だけを移転できます。この柔軟性により、一日に何度もガスの売買が行われ、常に最新の需給状況を反映した価格が形成されています。
NBPは、世界で最も早く自由化され、成熟したガス市場の一つです。1990年代の英国は、電力に続いてガス市場でも規制緩和を進め、国営企業の民営化、新規参入の促進、価格の自由化を実施しました。NBPはこの改革の中核として、透明で競争的な価格形成を実現する場となりました。
市場の流動性は極めて高く、一日の取引量は実際の消費量の何倍にも達します。これは、多数の市場参加者が活発に取引していることを示しており、価格の信頼性と効率性を高めています。参加者は、北海のガス生産者、ノルウェーやオランダからのパイプライン供給者、カタールやアメリカからのLNG供給者、電力会社、工業需要家、ガス小売業者、そして金融機関まで多岐にわたります。
特筆すべきは、NBPが「ペンス/サーム」という独自の価格単位を使用していることです。1サームは10万BTU(英国熱量単位)に相当し、これは約2.83立方メートルの天然ガスに相当します。この単位系は英国の歴史的な慣習に基づいていますが、国際取引では換算が必要となるため、市場参加者は常に為替レートとエネルギー換算の両方を意識する必要があります。
NBP価格は、英国特有の要因と国際的な要因の両方に影響されます。英国は島国であるため、大陸欧州とは異なる独自の需給バランスを持っています。冬季の暖房需要は価格の最大の決定要因ですが、英国の住宅の多くがガス暖房を使用しているため、気温が1度下がるだけで需要が大きく変動します。
供給面では、北海ガス田の生産量、ノルウェーからのパイプライン供給、LNG輸入量が主要な要因です。英国は欧州最大級のLNG受入能力を持っており、サウスフック、ドラゴン、グレインアイランドといった大規模LNGターミナルは、合計で年間約5000万トンの受入能力があります。これは英国の年間ガス需要の約半分に相当し、供給の柔軟性を大きく高めています。
風力発電の影響も無視できません。英国は洋上風力発電の世界的リーダーで、2023年の設備容量は14GWに達しています。風の強い日には電力の半分以上を風力で賄うこともありますが、逆に風が弱い日にはガス火力発電がフル稼働し、ガス需要が急増します。このため、天気予報、特に風速予報が、ガス市場のトレーダーにとって重要な情報源となっています。
2020年の英国のEU離脱(ブレグジット)は、NBP市場にも影響を与えました。英国はEUの単一エネルギー市場から離脱し、独自のエネルギー政策を追求することになりました。これにより、大陸欧州との電力とガス取引に新たな手続きが必要となり、取引の効率性に一定の影響が出ています。
しかし、NBPの国際的な重要性は変わっていません。2023年の取引量は約1000TWhで、英国の年間消費量の約12倍に達しています。英国が独自の気候変動政策を推進し、2050年ネットゼロ目標を法制化したことで、NBPは低炭素エネルギー取引の先駆的な市場として注目されています。水素やバイオメタンの取引、カーボンオフセット付きガスの取引など、新しい商品の開発でも先行しています。
規制面では、Ofgem(Office of Gas and Electricity Markets)が市場の監督を行い、公正な取引と消費者保護を確保しています。また、ICE(Intercontinental Exchange)がNBP先物市場を運営し、最長10年先までの価格ヘッジを可能にしています。2023年の先物取引量は現物取引量を上回っており、金融市場としての機能も充実しています。
英国のLNG受入能力の大きさは、NBPを国際LNG市場と密接に結びつけています。LNG船は行き先を柔軟に変更できるため、NBP価格が上昇すれば英国向けのLNGが増え、逆に価格が下落すれば他地域に向かいます。この柔軟性により、NBPは欧州とアジアのLNG価格を結ぶ重要な節点となっています。
2022年のエネルギー危機では、この機能が特に重要でした。ロシアからのパイプラインガス供給が減少する中、英国は大量のLNGを輸入し、その一部を大陸欧州に再輸出しました。NBP価格は一時的に急騰しましたが、LNG輸入の増加により、欧州全体のガス供給安定化に貢献しました。2023年には、英国のLNG輸入量は約200億立方メートルに達し、その約30%が大陸欧州に再輸出されました。
英国はLNGの「再ガス化ハブ」としての役割も担っています。LNGターミナルで気化されたガスの一部は、インターコネクターと呼ばれるパイプラインを通じてベルギーやオランダに輸出されています。BBL(英国-オランダ)とIUK(英国-ベルギー)の2本のパイプラインは、双方向の流れが可能で、市場状況に応じて柔軟に運用されています。
NBPは、実物のガス取引だけでなく、金融商品取引の場としても発展してきました。NBP先物、オプション、スワップなどのデリバティブ商品が活発に取引され、市場参加者は価格リスクを効果的に管理できます。特に、電力会社やガス供給会社にとって、これらの金融商品は事業の安定性を確保する上で不可欠なツールとなっています。
投資銀行やヘッジファンドも積極的に参加しており、市場の流動性を提供しています。彼らは天候デリバティブ、スプレッド取引(NBPとTTFの価格差を利用した取引など)、季節性を利用した取引など、様々な戦略を駆使しています。2023年のデリバティブ取引量は約2000TWhに達し、現物市場の2倍の規模となっています。
クリアリングハウス(清算機関)の役割も重要です。ICE Clear Europeが取引の清算を行い、取引相手の信用リスクを管理しています。これにより、市場参加者は相手方の信用力を心配することなく、安心して取引を行うことができます。2008年の金融危機以降、このような市場インフラの重要性は一層認識されるようになり、規制も強化されています。
2024年現在、NBP価格は30-40ペンス/サームで推移しており、2022年の危機時の600ペンス/サームという異常高値から大幅に下落しています。これは、LNG輸入の増加、需要の減少、比較的温暖な冬などが要因です。しかし、依然として2020年以前の10-20ペンス/サームという水準よりは高く、エネルギーコストの上昇が産業競争力に影響を与えています。
市場の課題として、供給源の多様化があります。北海ガス田の生産は年々減少しており、2023年の生産量は約350億立方メートルと、ピーク時の3分の1になっています。この減少分をLNG輸入とノルウェーからのパイプライン輸入で補っていますが、エネルギー安全保障の観点から懸念が残ります。
水素経済への移行も重要なテーマです。英国政府は2030年までに10GWの低炭素水素生産能力を目指しており、NBPは水素取引のプラットフォームとしても機能する可能性があります。すでに「水素証書」の取引が試験的に始まっており、2023年には初の水素混合ガスの商業取引も行われました。また、バイオメタンの注入も増加しており、2023年には約6億立方メートルがガス網に注入されました。これらの動きは、NBPが従来の天然ガス市場から、多様なガス状エネルギーの取引市場へと進化していることを示しています。
LNG(液化天然ガス)
天然ガスをマイナス162度まで冷却して液体にしたもので、体積が600分の1になるため船での大量輸送が可能になります。日本は世界最大のLNG輸入国として、中東やオーストラリアから年間約7000万トンを調達しています。パイプラインがない地域でも天然ガスを利用できる画期的な技術として、世界のエネルギー貿易を大きく変えました。
湿性ガス
天然ガスの中でもプロパンやブタンなどの液化しやすい成分を豊富に含んでいるガスのことです。これらの成分は冷却や圧縮によって分離され、LPGや石油化学原料として高値で取引されるため、ガス田の収益性を大きく向上させます。近年のシェール革命により、ウェットガスの生産が急増し、世界のエネルギー市場に大きな影響を与えています。
乾性ガス
天然ガスの中でもメタンが90%以上を占め、液体になりやすい成分がほとんど含まれていないガスのことです。そのままパイプラインで輸送でき、都市ガスや発電の燃料として直接使えるため、最も扱いやすい天然ガスといえます。処理コストが低く経済性に優れていることから、世界中で広く利用されています。
パイプラインガス
パイプラインを通じて気体のまま輸送される天然ガスで、世界のガス貿易の約7割を占める最も基本的な輸送方法です。ロシアから欧州、カナダから米国など、陸続きの地域では直径1メートル以上の巨大パイプラインが何千キロも延びています。LNGと違って液化設備が不要なため、安定的で低コストな供給が可能です。
ヘンリーハブ
アメリカのルイジアナ州にある天然ガスパイプラインの集積地で、北米の天然ガス価格を決める最も重要な指標です。ここで形成される価格はNYMEX先物の基準となり、世界中のLNG取引でも参照されています。9本の州間パイプラインが交差し、日量20億立方フィートのガスが行き交う巨大なハブです。
CNG(圧縮天然ガス)
天然ガスを200気圧程度まで圧縮して、専用容器に充填したものです。液化させずに気体のまま圧縮するため設備が簡単で、バスやトラックの燃料として世界中で使われています。ディーゼル車より排ガスがきれいで、都市部の大気汚染対策として多くの国が導入を進めています。